統計の話には沈黙

「心理学論の誕生」より

佐藤達哉+渡邊芳之+尾見康博さん
心理学論の誕生
2000年6月

 

遂にというか、驚いたというか、肯定論者の主張の一部を裏付ける本(?)が心理学者から出版されています。それがこの本です!

出版社名でわかるように、この本はちゃんとした学術書です。また、血液型と性格については肯定・否定のどちらもしていません、念のため。 

211ページ

渡邊芳之氏 そんなことだから、血液型性格判断のデータが統計的に有意★50だったりするとアタフタするんだよ。

★50 一部の心理学者が統計的手法で血液型性格判断を否定しようとしたため、血液型性格判断賛成陣営も統計を勉強し始め、最近では実際に有意差の出る(つまり血液型と性格に関連があるという)データを提出しはじめている。また、彼らは心理学の統計の用法の問題点(サンプリングの問題点等)も理解するようになり、(血液型性格判断を批判している)心理学という学問のあり方に対してかなりまっとうな批判も出るようになってきた。これらのことに対し、最初のうちは積極的に批判の論陣を張っていた心理学者たちの多くは沈黙している。

 

心理学者は一般的に統計に弱い(失礼!)という点については、次のような記述もあります。

 

214ページ

尾見康博氏 統計に強い人は崇めたてまつれらるわけですよね。…心理学科や心理学専攻は文学部系統に所属することは多いから、数学受験せずに数学が嫌いで大学に入っているわけだし。まあ、そういう人が頻度的に多いわけね、きっと。有意かもしんない、そういう意味では(笑)。

 

残念ながら、学会誌のレフリーのレベルでも、そういうことは少なくない(?)ようです。

 

211~212ページ

佐藤[達哉氏] ぼくは、某達心理学研究(笑)という学術誌の常任編集委員をしてたことがあるんだけれども、共分散構造分析が使われ始めた頃は、使っている人が使い方というか内容を間違えてることがあった。たとえば実際に測定した変数と構成概念の間の矢印の方向っていうのか因果の方向っていうのか、それを全く理解してないで逆に考えている人がいたりしたわけですよ。…論文で言ってることが全然分からない。…

渡邊芳之氏 そんなの落とせば良かったのに(笑)。

佐藤[達哉氏] ホントは落としたかったけど、他の2人のレフリーがほとんど手放し状態でホメてるのよ(笑)。本来なら2人が「採択」と言っていればそのまま掲載されてしまうのだけれども、それだけは勘弁してほしかったので、「修正再審査」にして、書き直してもらった。そして、再投稿されて再提出された論文を読んだら、他のレフリーもすごく分かりやすくなったって言ってきた。「それまでは自分の共分散構造分析の理解力が足りないんだって思ってました」みたいなことを言っているのよ、他のレフリーが。これゃダメだと思ったよ。

尾見[康博氏] つまり、学会誌のレフリーのレベルでも、ソフト使って流行の統計分析が行われていれば、認めてしまうってことですか?

佐藤[達哉氏] 残念ながらそういうことがあった。…

渡邊芳之氏 それをレフリーが読んでやっぱり理解できなくとも、むずかしい統計やってれば手放しで誉められるわけだ。

 

 204ページ

佐藤[達哉氏] まあ、怒りというとボクの場合は、血液型性格判断の研究を某誌に投稿したときのことがありますね。レフリーがわけの分からないことを書いてきて、さらにけしからんことに、データがついているからダメだと言ってきて。某誌の他の論文にはデータのついているのがあるのにさ。それなのにオレらのだけ(笑)ダメだっていうわけ(と自分には思えた)。

 

122~123ページ

今の大学生が興味を持つようなことを卒論で取り扱おうとしても、なかなか認めてもらえないことが多い。

「超能力は存在するか」なんてことはとにかくタブーなのである。

いわゆる血液型性格判断についても同様である。やってはいけない。

血液型性格判断ブームの研究については近年事情が変わってきたが、タブーとなるテーマであることは変わりがない。

(中略)

心理学は実証的学問なんだから、仮説をたてて検証させればすむことなのに、頭からテーマを押さえ込むようなやり方はなくしてほしいものだと思う。

 

実はこれはおかしいのです。「超能力は存在するか」という(否定的な)研究と「超能力の実在を信ずる」ことは全く別のことなはずです。従って、理屈上は超能力の研究をやっても全く問題ないことになります。しかし、実際にはできません(笑・じゃないかもしれませんね…)。血液型は「非科学的」ではないのですが、一般の心理学者に「非科学的」と思われているので、同様の扱いになっているようです。(^^;;

 

そして、日本の心理学者が論文を書くまでには、いろいろと難関を突破しないといけないようです。

 

86~87ページ

[サンプル数の他に]もう一つ、日本の心理学者がおびえるものがある。

外国(主として欧米)の研究である。

論文の書き出しは、

「Smith (1997) によると…」

あるいは

「Brown, and Johnson (1999) のABCモデルは…」

といった形になっているとかっこいいし、安心できる。引用文献は日本語のものが多いと格好悪い。自らの論文以外は全て英語の論文を引用する、といったこともあるようだ。

さあこれで、あとは運を天に任せて、統計に詳しい人が審査者とならないことを祈りつつ投稿するのみである。

 

これで、心理学者がよく言う、血液型と性格は日本でしかポピュラーではない(から間違っている)、という根拠がやっと理解できたようです。つまり、理工系とは違って心理学は欧米の方が圧倒的に強いようなのです。だから、日本でしか流行っていない→間違っている、という妙な結論が(必然的に?)導き出されることになるのではないでしょうか?

まだまだありますが、このぐらいにしておきます。しかし、よくこれだけ書きにくいことを書いたものです。(^^;;

それはともかく、この『心理学論の誕生』はなかなか良い本ですから、皆さんもなるべく買ってあげましょう!(^^)

 

2000.7.30更新

 

「心理学は何故、血液型性格関連説を受け入れ難いのか」より

清水武さん

心理学は何故、血液型性格関連説を受け入れ難いのか―学会誌査読コメントをテクストとした質的研究

よい教育とは何か 構造構成主義研究5 2011年4月

 

いやいや、よくここまで書きにくいことを書いたものです。
ただし、これは私の体験とほぼ一致しますので、ほぼ間違いなく事実と考えていいでしょう。

それにしても、心理学者はなぜここまで「関係がない」ことにこだわるのでしょうか?

106ページ

 

(2-3)[第二査読者のコメント]

もちろん,血液型と性格を否定的に論じる現状が間違っており,著者の主張が正しい場合もある。アインシュタインの相対性理論の論文がレフリーペーパーにならなかったように,正しい論文が正当に評価されずに掲載されない可能性もある。しかし,この論文は(仮に正しいとしても)現在の●●が掲載を認めるものではないと思われる。

(●●は学会名)

(中略) 

(2-4)[第二査読者のコメント]

さらに,この問題[血液型と性格の関係]については,1927年の古川の論文以来、膨大なデータの蓄積がある。否定論は、こうした多くの研究の結果を参照して,そこに一貫性を見いだせないという事実を否定論の根拠にすることが多い。今回の結果が一定の傾向を示したことを認めるとしても,すでに蓄積されている膨大な「非一貫的な結果」を全て解消するような結果として打ち出せるものなのだろうかについての疑問も残る。つまり,一回の調査で傾向が見られた、というような論文は現在では査読論文としては認められないと思われるのである。

既に蓄積された非一貫的な結果を全て解消できなければ、認められないというわけである。しかし、上記コメントにしたがうならば,今後の研究論文は,関連説を肯定的に支持する内容が含まれる限り,全て掲載に値しないという判断が下される可能性が極めて高いことになる。やはり,掲載を認めるわけにはいかないという結論が先にあるように感じられる。

 

☞106~107ページ

 

加えてここから,ある種のお蔵入り効果(引き出し問題)が、通常とは逆のパターンで(関連性を示す効果が,公開されずに研究者の引出しに眠る)生じている可能性さえも,指摘できるだろう。そして,次のコメントは少なからず筆者にとっては衝撃的なものであった。

 

(2-5)[第二査読者のコメント]

最後に「心理学者にとっての血液型性格学に対する感情は,否定的なものが大半だが」との記述があったが,心理学者は決して感情で否定しているわけではない。むしろ,感情で肯定しているが論理として(あるいは職業倫理として)否定している心理学者が多いように見受けられる(代表的な方は大村政男先生)。

 

この審査者自体は自らの立場を示していないが,敢えてこう書くのだから,感情では関連説を肯定しているとも読める。一方で,ここでは「論理(あるいは職業倫理)として否定」とあり,関連性を認めるわけにはいかないともいう[26]。こちらは建前ということだろう。

 

☞115ページ

 

[26] 血液型と性格の関連性について,筆者自身は,肉眼では関連性を実感できない。人の血液型を聞いて納得することも特になければ,性格から血液型を言い当てることもできない。正直なところ,感情では関連説を肯定できない。これは,観察力の問題だろうか。一方で,データを使ってようやく小さな関連性が肯定されうる可能性があることがわかり,論理として(あるいは職業倫理として)肯定論支持の可能性が示唆されるという立場を採っている。肯定論から出発したと肯定論というよりも,否定論に対する懐疑論が,結果的に肯定論寄りになったということである。

 

【私のコメント】

 

清水さんは非常に正直な方だと感じます。

 

ただ、私が不思議に思うのは、

  1. 少なくとも2005年以降には、データで関連性が示されたという研究報告が数多く発表されているのに、なぜ論文を執筆するときに調べなかったのか?
  2. 心理学の性格理論によると、データでは必ず関連性が示されることになるはずだが、なぜ気が付かなかったのか?

    ☞詳しくはこちら

おそらく、この理由は、血液型と性格は関連があるはずがないし、心理学の性格理論は正しいものだという「思考の慣性」によるものでしょう。既存の理論で現実のデータが説明できないなら、それは理論が間違っているのです。データを拒否してもしょうがありません。が、しかし、普通は理論の方が正しくて、データは「誤差」だと解釈しがちです。

 

例えば、相対性理論は、観測されたデータに合うようにニュートン力学を修正しました。その結果、時間や空間は絶対的なものではない、というパラダイムシフトを引き起こしたのです。しかし、画期的な理論だけあって、相対性理論が多くの物理学者に認められるまでには、相当な時間が必要でした。

 

たぶん、血液型も同じなのです。既存の性格理論は、きちんとした数学的なモデルを構築し、その中では完結した美しい体系を築いています。私も最初に「ビッグファイブ」を知ったときには感動しました。しかし、 「ビッグファイブ」で血液型のデータを分析すると、明らかに矛盾が生じます。他の性格理論でも同じことです。だから、「血液型と性格」には関連性なんかないんだ、というのが普通の感覚でしょう。

 

それが、能見正比古さんのような“素人”から心理学を否定されたのでは、学会のメンバーは面白いはずがありません。スイス特許庁勤務のアインシュタインのように…。

 

しかし、原点に戻って考えると、「血液型と性格」は実に素直に理解できます。相対理論なんかより、はるかに簡単なのです(笑)。
皆さんも、一度原点に戻って考えてみませんか?

  

2016.9.17更新